COFFEE & GALLERY SALON " you "
COFFEE ROASTER " in "
自家焙煎珈琲店 国分寺(陽)&青梅(陰)
Since 2006
オレンジの電車の見える、ピンク色のマンションの一室に目指すカフェはあった。
その部屋だけが、時間という概念の外側で
まるで永遠に夕暮れ時に囚われているかのような
粘着質な静寂に包まれていた。
私はベランダごしのガラス戸に設けられたテーブルへと、自然と靴音を忍ばせた。
イスの足を床に擦らせないよう
自分自身がカフェの風景に溶け込んでいくように、
ゆったりと背をのばし席についた。
目をテーブルに落とせば、据付の照明具に小さな注意書きがあった。
「古いものなのでお手を触れないように御願いいたします。~」
ガラス戸の引き手にも「ベランダに出ないよう~」といった節の
少々念入りな注意書きが目についた。
表情を変えないよう私は心の中で小さく笑った。『注文の多い料理店だな。』
それはお客が余計なことをして他のお客さんを不愉快にしないための配慮であり、
物だけではなく、場の空気を壊した本人をも傷付けないための、
分かり難い心遣いなのだが、
反って分からずやな人を不快にさせかねないソレの本意に
気がつく人は少ないだろう。
着席後すぐに、少々勢いよく水を置き、注文をとりにオーナーらしき小柄な女性がやって来た。
前もってココを紹介してくれた方からの忠告はあったものの、
彼女の少々ぶっきら棒な物言いには最初面食らったものだ。
そうしてしばらくして運ばれてくる全ての器の中は、驚きとともに温かい優しさに
満たされていた。
私の背は自然と丸く猫背になった。
私は合間合間に読みかけの小説を手にしては、頭に入らぬセンテンスを目で追いながら
胸がいっぱいになる心持で
そのひとさじひとさじ、いっぱいいっぱいを噛締めながら記憶のビンに詰め込んだ。
口から先に産まれたようなおべんちゃらや愛想笑いはむしろ要らない。
プロは語らずとも、その皿の上に言葉や気持ちを乗せられる生き物なのだろう。
夕暮れの呪縛が切れる頃、
”キシャァーッ、シャリン・・・”、と遠くに軋む線路の擦れる残音を
「不思議と不快に聞こえないものだなぁ。」と聴きいりながら、
目前の器の底があらわになったことを確認すると、
私は何の感想も告げず、短く「ごちそうさま」と
数枚の硬貨だけを残して、
オレンジ色のヒカリの漏れる桃色カフェの扉を後にした。
彼女が実は
とても不器用で人見知りの人好きであるということも、
人の美味しい笑顔を覗き見るのが大好きであるということも、
悩み苦しみながら、笑顔で接客をしようと努力していることも、
同じ悩みを持つ珈琲屋としては、後に知ることになるのであった。
そしておととい、「SOMMEILLER」というカフェの名が
フランス語で「まどろむ」という意味だということを彼女が教えてくれた。
本当の心地良さを知った人であれば、「まどろむ」という名をカフェにつけた
彼女の心の笑顔が、
出される全ての器に、そのイスやテーブルに
入っていることに気がづいてくれる筈だろう。
終。
~あとがき~
今回は私の強い想いから、きっとソメイエさんが嫌がるかもしれないけど、
私の感じたことも独断と偏見で全てブチマケ、晒したうえで
一緒に「ソメマキ」というコラボ企画を完全燃焼してくれました。
まだまだ至らぬ点もあり、お客様には伝えたかったことの半分も伝えられたか分かりません。
でも、楽しかった。
楽しく働き、楽しく食べ、飲んでもらうことができていたなら
とりあえず今は良しとしてください。
きっと次は、その上を目指します。
1タス1ガ10にも20にもなるように。
今回は、たくさんの節度ある皆様にお越しいただき有難う御座いました。
明日からは、また静寂とまどろみのカフェへ、
靴音を忍ばせて足をお運びいただければと思います。
私は「仲間」という言葉が大っ嫌いです。
薄っぺらで、どうとでもとれる都合のいい言葉だからです。
もともと群れるのが嫌いな私は、深いところではずっと独りで頑張れると思っていました。
でも、色んなことがあって叩きのめされ心が崩れ落ちたとき、
私のように己の領域に踏み込まれることを望まないメンドクサイ似た者同士の人たちが
次々に「ウチでやんなよ!」と手を伸ばし肩を支えてくれました。
いつの間にか、こんなにも熱い同業者たちや知り合いに支えてもらっていたことに
今更ながら感謝しております。
これが本当に「仲間」っていうなら、そんなに悪いもんでもなさそうですね。。。
皆様本当に有難う御座いました!
あ、そーいえば、「cura」ってフランス語かなぁ?なんで2がつくのかな?
クーラさんに聞くの忘れたナ。マッ、いっか(笑)。
また今度、熱い出張に呼んでくれたら、
その時に書こう。
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