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自家焙煎珈琲店 国分寺(陽)&青梅(陰)
Since 2006
5月2・3日、青梅大祭。
そりゃあもう、4月から5月にかけて
ありえない位お休みしてお祭りの準備やら
参加やらさせていただきました。
なんてったってこの町は一年がこの祭りのため
に動いている町なのです。
商売としてはまったくの激的マイナスでしたが(苦笑)
この町が好きで、この町で商売させていただき、この町で生きる、
と決めたからには、苦手でも地域の一大行事に参加して地元住民と交流を深め
文化を知る、とゆー方が私自身にとってプラスだろうと判断したからなのです。
お客様から後日「行ったけどお休みだった」と随分苦情をいただき
誠にスミマセンでしたっ!!!
でも、人生の中でこんな経験、したくても出来ることじゃないですから
参加しなきゃ損でしょっ?
私の属する上町は、ヤマトタケルのミコトが人形として祀られています。
昔は小屋ほどもある山車の上に乗せていたそうですが
電線などが出来たため人形場に安置されるようになったそうです。
人形は旧青梅宿5町内だけにあり、それぞれが人形場に安置されています。
上町の半纏には背中に大きく「武尊」と入っていてブソンって何だろ?
と思っていたらタケルのミコトということらしいのです。
なんかそう聞くと背中が誇らしく感じられました。
昔、木場から伝わったという「木遣り」という
材木を運ぶ時の唄が、何故か節目節目に歌われて祭りは進行します。
唄の練習にも出ましたが、いまだにサッパリ意味がわかりません。
上町の山車は3輪で、古いタイプのものらしいです。
他の森下町なんかの山車は立派な4輪で
車体の上半分だけがベアリングでクルッと回転し方向転換できるという
優れものです。「神田江戸400年」とかいうお祭りにも出張したことのある
由緒正しき山車だそうです。
とにかく上町の山車は方向転換のたびに人力で押したり引いたりするので
舵きり役の人は神経を使うし、押す人は非常に疲れます。
上町は人が少ないので、山車に乗って仮面をつけて踊ったりタイコを叩いたりする
囃子連という人たちを他の町、畑中というところから呼んでいます。
声が枯れるほどの意気込みで気合の入ったお囃子の若い衆を見ていると
なおのこと、この町の文化がお祭りで成り立っているんだなぁ~と
強く認識しました。
「あぁ、なんと自分のお店がこの町の文化にそぐわないことか」と
妙に自信をなくす私なのでした(苦笑)。
祭りのクライマックスはなんとウチのまん前。
各町の山車が集結し祭囃子でケンカが始まります。
相手の町のお囃子のリズムにつられた方が負けとなり
次の山車と入れ替わるシステムですが
今はタイムスケジュールがきっちり組まれ形式化されているようです。
山車に付きながら自分の家を見ると
観光客に無残に踏み荒らされゴミが投げ捨てられた庭と
室外機に登るカメラ野郎の姿が・・・・(泣)。
踏んだり蹴ったりとはこのことなりネ。
来年は山車じゃなく家に付いて居た方がイイナと決心するのでした。
最後に私の町は青梅坂という坂を
山車を押して上がります。
非常に重い、そして苦しく危険であります。
何か意図があるのだろうと思い
精一杯の力で山車を押します。
「まだまだっ!!」という掛け声で
動かなくなる限界まで山車を上げます。
つ・辛い!!
「よぉし!!」という声で
やっと山車を降ろし拍手と達成感の笑みを浮かべる人たち。
「これは何の意味があるのですか?ハァハァ」と
ヘトヘトで聞いてみると
「全然っ。ないよっ。」
「・・・・へっ?・・・・」
・・・・祭りはよくわかりません。
が、そういうものなんでしょうねぇ祭とは。
なんとなくあとで他の人にも聞いてみると
昔は上がってた別の坂を上がらなくなったためと
一応上町の上の方まで山車を押すという意味と
あとは、ただの限界に挑戦ということらしいのですが
定かではありません。
非常に貴重な経験と土地の文化を学んだ2日間でしたが
私がその後2日間は筋肉痛になったことは
言うまでもありません(笑)。
写真はまったく祭りとは関係ない焙煎の様子。
随分お店を開けたため、凄い量の煎り直しを
したのでした。
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