COFFEE & GALLERY SALON " you "
COFFEE ROASTER " in "
自家焙煎珈琲店 国分寺(陽)&青梅(陰)
Since 2006
ネット記事隆盛の昨今。
誰でも手軽にカメラを手にし、パシャパシャと気軽に撮った写真をネットにアップし
カメラマンになれる。
ご近所のあの人もあの人も自分だって、
ネットに記事をあげ、素人だって記者になれる。
そんな時代。
それが悪いと言うのではない。
そう。誰にだってチャンスが生まれ、今までに無い才能が開花する。発掘される。
それを、発見し、応援し、つながり参加することだって出来る。
いい時代になったのだと思う。
しかし本当に人との距離は近まったのだろうか?
希釈され薄まってしまうものは無いだろうか?
何かに踏み込む準備は、礼儀は、どこかに置いてきぼりになっては、
無いだろうか?
ときどき、そんな瞬間を感じることがある。
自分自身にでさえも。。。
紙ものの。
雑誌の編集者になりたい。そのプロとしての仕事を学びたい。
そんなライターの育成学校が東京にあるらしい。
ある日きた、取材。
事細かに段階を踏み、プロよりもプロらしく
距離を縮め取材交渉に挑んでくれた、
年齢も境遇もバラバラの女性たち。
その学校で学ぶ学生だった。
卒業制作に、一冊の本を作ると言う。
売るでも無し。伝えるでも無し。ただ卒業のための一冊。
面白そうなこと、心に届く何かがあるものには、
儲け度外視、がっちり握手。が、ねじまき主義。
デジタルデトックスというデジタルからのスケープを主眼に据えた内容は、
まさに、ネット隆盛の今、独自の視点でそこに一石を投じるものだった。
あえてか、まだ荒削りだからかはわからないが、掘り下げられ過ぎてはいない。
そこがまた心地良い。
ただ、デジタルは頭からダメと言うのではなく。
人と人の紡ぐもの。人と場所の紡ぐもの。場所と場所の紡ぐもの。
リアルで生まれる、形ある温かみ。そういうものは人間的に心地よいと。
ネットワークの本質とは何かを問う一冊。
これから編集の世界を目指そうという者に、未だこのような視点を
持っている芽があり、そして羽ばたいて行くということが嬉しかった。
取材を終え、本は完成し、きっと彼女たちは無事卒業できたことだろう。
ウチも少しは就職のお役に立てただろうか?
季節は流れしばらくして、
取材に来てくれた内一人が、またお店を訪ねて来てくれた。
正直、一番心配だった子。
メンバーで一番若く、声も小さく控えめで、まるで昭和の文学少女のようなおしとやかさ。
彼女は完成した本を携え、挨拶に来てくれたのだ。
当たり前のことではあるのかもしれないが、
今日日最後まで、きっちりしてるなぁと、感心してしまう。
さらに彼女はニッコリ、本を数冊寄贈してくれた。
本を、取材をさせてもらった場所に配ることで、
お店同士の交流が生まれたり
もしくはその場所でその本を見たお客さんが、他のお店にも行って楽しんで
くれると嬉しいと言うのである。
わざわざ本を配って歩くなど、
もう卒業した彼女たちには、何の利益ももたらさぬ、ただ面倒な行為である。
しかし、デジタルもアナログも関係なく、
ここにこそ「人間らしさの根っこ」が、あるような気がした。
彼女は、インドア派に見えて実はアウトドア派だったと言う
衝撃の事実とともに、就職が決まったと報告してくれた。
希望の、山関係の編集社だと言う。
その日も彼女は「これから雲取山に登りに行きます。」と
やはり控えめがちな声ながらも、ニッコリと力強い眼差しで、
よく「山小屋みたい」と言われる珈琲店を後にした。
「皆、いろいろと、行ってらっしゃい。この先も、お気をつけて。」
私は、いい山小屋のオヤジであれたかな?
もはや、卒業のためでも、就職のためでも、販売目的でも無く
何の制約なしに伝えるもののこめられた
ただただクオリティーの高いフリーペーパーのような存在になった
彼女たちの作品は
いま、ねじまき雲の本棚でご覧いただくことができます。
お分けくださった本のほぼ全ては、すでに旅立っていってしまいましたが
あと二冊だけ、お渡しできる枚数がありますので
ご希望の方は、ご来店の際お申し出くだされば、
お分けいたします。
たとえ無くなっていたとしても、当店には一冊ずっと置いておきますので
いつでもご覧ください。
希釈し薄まるのではなく
咀嚼し深まる味わいへ。
残し残さず旅立つ広がりへ。
デジタルデトックス
手に触れ目に触れ、
知るきっかけを、 ありがとう。
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