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自家焙煎珈琲店 国分寺(陽)&青梅(陰)
Since 2006
前回ブログに引き続き、輪行日記である。
なかなかに暑かったので、相方が用意したポカリスエットが身体を潤してくれる。
パナソニック・レマイヨWのボトルケージは
自作の革フレームカバーに装着してあるので
ケージ取りつけ穴の無い自転車には便利だ。
二台並ぶと、同じ20インチなはずなのに
レマイヨWのほうがタイヤが大きく見えるなぁ。なんでだろ?
企画が違うのかしら?
作業着姿のおっさんジモティー以外まったくヒトケが無い
高山は久々野に降り立った我々は目的地へ向かった。
駅からほど近くはあるものの、いきなりの急斜面。
その急斜面を登った先に
「堂之上(どうのそら)遺跡」はある。
縄文時代前期~中期に存在した、43軒あったという集落跡が
整備再現されている。
ここの飛騨縄文人は栗やクルミ、はしばみなどの堅果類を食べていたようで
それらに近い木々が植樹されている。
縄文人も選定による木々の整備、植樹をしていたとされるので
食料とともに良質の堅い飛騨材が手に入ったことだろう。
標高約680mの陽のあたる丘陵の台地になっており、
駅近くには壮麗な飛騨川があるので、
生活に必要な水、魚などの食料の確保には最適。
天然の要塞としても十分機能しそうであるし
5000年ほど前もさぞかし住みよかっただろうことが地形からもうかがえる。
出土品は園に併設された
「久々野歴史民俗資料館」に展示されている。
それにしても、飛騨高山まで来て
観光地のメッカ高山市街地や「君の名は。」聖地に向かわず
手前の駅に降りて、人っこ1人いない遺跡に来るとは・・・。
全然前世過ぎるゼ。
つくづく世の常の逆を走るのが我々である。
閉館日かと疑うほど誰もおらず館の明かりも消えている。
草刈りをしているオジサンに話しかけてみると
どうやらやっているということで、明かりとアナウンスを付けてくださった。
職員というよりはボランティアの管理人といった感じなのだろうか。
手焙型。珈琲屋としてはそそられる名前である。
小型で、形・装飾ともに美しく独特である。
釣手型土器。
灯りか、香を入れてもよいような江戸的造形である。
私ならシュッとした野草を活けてみたくなる。
これも
これも。
こちらの所蔵品には台付というか、高台部分が高く強調されている土器が
やたらと多い。しかも一見模造品かと見まがうくらい
割れの無い完品状態のものが多数存在している。
これなんかは、まるで聖杯のようである。
模様も日本というより他文明を感じさせる斬新さだ。
この遺跡中央広場には立石跡など祭祀遺構があるので
祭礼が多く執り行われ、特殊な儀礼のために用いられた祭器なのか
あるは飛騨縄文人は単なる酒好きか・・・。
いや、もしくは手焙土器で煎った珈琲を飲んでいたカップという線も
捨てがたい。
この遺跡にもやはりあったか、男性のシンボルを模した石棒。
この一番大きなやつは、写実性のなかにも意匠を凝らした名品である。
大いなる力を得るため、その形状にあやかったとかどうとか。
それか縄文人は単なるエロなのか。
いや、これを鑑賞しつつ珈琲を飲んでいた可能性も・・・。
何より、この資料館で特筆すべきはこちらだろう。
出ました、女陰石!!!
いやもうこれは、飛騨縄文人絶対エロいでしょっ!!!!
男性器を模ったものは数あれど、このように女性器を模したものは全国でも
こちらでしか出土していない超貴重品だそうだ。
エロいかどうかはさておき、土偶の多くが女性の裸体を模していることや
土器の装飾などにも出産シーンを取り込んだものがあることを考えれば
コミュニティーの中心が女性である縄文文明において
生命の暁を司るこのような石が無かったことのほうが
むしろ不思議なくらいだ。
パッと見こじつけのように思えないでも無い形状ではあるのだが、
古代にロマンを馳せるには、女陰石に見えたほうが素敵なので
そういうことにしておこう。
いずれにせよ繁栄を祈る呪術的要素がこの縄文遺跡には多い気がする。
・・・なにこれ、オーパーツ?
一体何用?しかも横のは、クルミ??
いや、いいんだけどね、クルミ押しし過ぎでしょ!
でもこの見本アートは凄い。むしろ欲しいくらいだ。
ここまでくると、突っ込まざるをえない。
熊って!!なにその壺ッ!!
しかもチェンソーアート。歴史民俗関係ないからね。
ってか、これ作ったの誰!!?(奥には熊の剥製もありました)
なんだか石棒からの流れでこの混沌のシチュエーション。
昔のミステリードラマ「ト〇ック」を彷彿とさせる。
チェーンソーアートの横には付近の山岳模型が。
うわぁ~この山の名は、登るに高すぎるっ!
アナウンスが一巡した後、スピーカーからはJ-POPの軽快な女性ボーカルが
館内に響いている。
このユルさ、たまりません。
なかなか他所では見られぬ特殊なラインナップで、見応え十分であった。
東西の縄文人と交流、融合しながらも独自の縄文文明を築きあげた
飛騨縄文文化、じつに興味深い。
一説には高天原はこの高山あたりだったという話しもあるようなのだが、
これだけの独自性と神がかりな祭器などなどを目の当たりにすると
そのへんからひょっこり天照大神が出て来ても、おかしくはない。
期せずしてこの日の私のTシャツの背に
日本武尊と書かれていたのも、
神のみぞ知るである。
我々は草刈りオジサンに御礼を言って、古代飛騨国を後にした。
(つづく)
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